2018年6月25日月曜日

親がしてくれたことはほぼ忘れている。

新生姜を見つけたので、買って甘酢漬けにしました。
新生姜をスライスして茹でて、瓶に新生姜と甘酢を入れて、蓋をしたら完成。あとは待つだけ。夏っぽいです。


この時期は夏野菜がたくさん出てきて、ピクルスが美味しいです。


新生姜を見たら漬けたくなるし、それをご飯に混ぜ込んで酢飯がおいしい!と想像するのは、育ってきた途中で体験したからそう思うわけです。

私は静岡県浜松市の田舎で育って、18歳まで親元にいたから6575日(うるう年5回を含む)何かと親の世話になって育ってきましたが、そのころの日々のことはほとんど覚えていません。

10歳くらいからでも、大体3000日くらいあるわけですが、3000日分のエピソードなんて全然覚えていません。

親とのエピソードについてちょっと考えてみたのですが、2人兄弟で3連プリンの最後の1個を取り合っていたら、母親が般若のような顔で現れて「これは私の分です」と無情に取り上げていったことを思い出してしまったくらい、エピソードがありません。(母は、プリンなど食べない。)

父親に至っては、私が小学校6年のときに髄膜炎で死にそうになり、高熱でうなされているときに私と初恋の人を間違える、という赤面エピソードくらいです(父よ、晒してごめんなさい)。

おとなになった今、ほぼエピソードは覚えていないし、いま思うとかなりファンキーな父母だったので一般的ではなかったと思いますが、18歳まで奔放な娘を適度に放任して育ててくれたことには感謝しております。ありがとうございます。

感謝はしているけれど、先に申し上げたとおりエピソードなんてほぼ覚えてなくて、残っているものは育てられた自分の中にある習慣くらい。結局、自分の中に残っているものは、日々の生活の中のちょっとした習慣くらいです。多分親はいろいろしてくれたと思うのですが、ほぼ覚えていない。直接記憶はなくても、何かがのこっていて、これが育てられているという証拠なのです。ひどいことがあったら、覚えているはず。だから、エピソードなんて忘れちゃうくらいがちょうどいいのです。