2018年6月21日木曜日

好き嫌いはなぜ発生するのかを偏りから考えてみました。

知らないうちに自分の常識は偏っている。専門性が高い仕事だと、余計にひどく偏る。
おとなになって仕事をしていると、どうしてもその仕事の世界にどっぷり浸かりやすいです。

勤務日は、働いて、それ以外の時間があって、寝る時間。お休みの日は、それ以外の時間があって、少なからず仕事のことを思い出しちゃって、寝る時間。ほぼ365日、仕事のことを思い出しちゃう。知らないうちに、立ち位置がその仕事の人になっている。人間関係も、仕事や興味の領域のつながりが増えてくる。もう、偏りまくる。

そうすると、情報も偏りが出てくる。私の場合は、ベンチャー経営者が多くて、皆さん個性的。宗教みたいに自分の思いを遂行している人が多い。一歩間違うと宗教家。コミュニケーション力が高いから世の中で会話ができていますが、専門性と興味の偏りが著しい(自分も含め)。

介護施設の防災と人材育成を主にしているコアクトにスタートアップから5年くらい関わっていて、地域で備蓄を回す仕組みとか、PTA予算で小学校の防災備品を買っていることとか、最近の発電機すごいとか、自分の毎日には直接関係ないことを知ってなるほど、とハラオチするけれど、これは明日から使えるノウハウにはならない、私には。雨の多いこの時期を出水期というらしいですが、それも最近知りました。でも、いま出水期ですしね、とは言わない。梅雨ですね、とは言うけど、出水期ですね、とは言わない。役に立たない知識が一つ増えただけ。話しながら、偏ってるなこの人達も、と思う。そして、その偏りは、自分とは結構違う。ああ、あっちから見たら自分もこのくらいは偏って見えるのかも、と考えるととびっくりします。いつのまにか、すごい偏っている、と。

偏りがあることは仕方ないですが、そこに偏りがあることをわかっておかないと、自分の常識をおしつけちゃう。自分と違う常識から話を進められると、なんとなく居心地が悪い。共感性がないから。偏りを知って相手との違いを早めに発見できたら、自分と違う偏りの人とも上手に話せます。”偏り補正”ができるから。

偏りを知る瞬間って、自分の全く知らない新しいことを見たときや、普段見ないことを久々にみてあーこれってあったあった、と近くの幅が広がった瞬間じゃないか、という仮説を最近立てまして、自分の幅以外のことにチャレンジしてみました。

オレンジページとか趣味の園芸とか、普段全く接しない業界紙を読んでみたところ、なんと単語がわからないことすらあるのです。日本語だけどみたことないぞ、これ、に出会う。ananに至っては、WEBのサブタイトルに「恋愛現役女子が毎日知りたい情報を提供」と書いてあって、興味の方向性そのものがサムシングニュー。昔読んでいたはずなのに、昔過ぎてわからない。そして、最近のイケメン傾向について知る。みんな同じ顔に見える、どうしよう。

いつものルーチン以外のことをして、ルーチン以外に興味を持って、何の役に立つかわからないけれど面白いことに出会うのは、それ自体が面白い。面白いことは、きっとなにかの役に立つ。自分にとっては範囲外でも、その情報にワクワクしている人がいる。だからその情報は存在しているはず。色んな人がいる社会、多様性や包摂を語るなら、相手のことも知らないとね。

自分の偏りと違うところにあると、拒否は生まれやすいです。違うものを興味を持って受け入れられるか、違うから拒否するのか。内容を知った上で好き嫌いはあってもしょうがないですが、知らないのに好き嫌いを感覚的に判断するのは、広い世界を狭くしちゃうから人生もったいない。偏りがあって、それ以外のところもあって、それ以外のところに拒否が発生する、と考えると、好き嫌いは偏りの範囲内か、範囲外か、から発生するものもあるということでしょうか。


出水期だからあじさいが咲いて、ブルーベリーも色づいてきました。
オリーブも育ってきたし、弊社も少しだけ生物多様性も支えているよ。
(私はやれないからスタッフが面倒を見ております。私の偏りの範囲外。嫌いではない。)