2019年3月30日土曜日

昭和と平成で気づいたこと ぼくらが旅に出る理由(オザケン)を理解したり、人類は大して進化しないけど相変わらず愛おしいと思うこと。

平成が終わるので、いろいろ考えていたら、ぼくらが旅に出る理由に行き着きました。渋谷系がわかる世代には懐かしそうな話なので、ここに描いておきます。

私の年代背景は、バブル経済の終焉近い昭和天皇崩御は小6。平成1年に中学1年生。

昭和から平成に変わる頃、同時期に父親が死にかけたのですが、バリキャリだった母は「別にお父さんが死んでもあなたは私立に行けばいい」という強い言葉を小6の私に投げかけてくれて、私立中学に進学。これが平成最初の記憶。

進学したのは中高一貫校の女子校で、とてもゆっくりした学校。定型発達からほど遠い私はエネルギーを潰されずにのんびり過ごしました。当時の先生、本当にごめんなさい。おかげでちゃんと大人で社会人になれました。その後、中学3年位にバブル崩壊。

高校生になって、ミスチルや渋谷系の時代。オザケンの、世界の持続可能性に絶望しながらも、人類はその営みをつづけていくという安定感ある感性にどっぷりハマる。あと、日本文学に萌える。完全にこじらせる高校時代。全く勉強しない。村上春樹の世代でもあります。

完全に拗らせる世代の真ん中で、たいして出来も良くない自分はこれからどうやって社会で生きるのだろうと無駄に悩む。もう勝ち負けの社会ではないし、持続可能性を考える時代に、自分はバカすぎると絶望する。周りが全員天才に見えました。だって苦手な古文なんて見るだけでゲシュタルト崩壊して、なんのことかさっぱりわからないのに、周りは変な記号を付けて読解していく。もうだめだ自分と思ってました。バカすぎる思春期に渋谷系と日本文学にハマると、浪人する。

平成8年5月、浪人してその後に発表された小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」。
当時は純粋に人生はよくわからないところに向かう旅なのかな、と思っていた気がします。

今になると、旅とは頭で想像できるけれど、実際には観たことのないものをちゃんと体験に行くこと。そして、そこに不確定要素があることを理解し、そのエネルギーを知る。とても強いものだと知りました。それを見ることで自分自身も変化するし、変化したら世界の感じ方も変わる。旅とは物理的な位置移動もあるし、日常の見えているルートと違う人生を体験しにいくことでもある(つまり違う世界に飛び込むとか)。

平成を30年くらい過ごして気づいたことは、旅をしないと外部環境の変化に気づけ無いということです。いつも同じ心地よい世界にいると、気づいたら周辺環境は変わっている。書を捨てたびに出よ、とか、ぼくらが旅に出る理由とか、ゲーテのファウストとか、いつの時代も同じことを言っているな、と。

外部環境の変化が早くなっても、人間のタンパク質量は大して変わらないし、多分腸内細菌の数も変わってないと思う。人体単体では、変化なし。でも人間には適応能力と、新しいことを作る力がある。平成が30年間過ぎて、テクノロジーも流通もファッションも変わったけど、多分人間の嬉しいことと必要とすることは、そんなに変わっていないと思う。

人に肩をポンってされてニッコリされたり、一緒にごはんを食べて笑ったりすることは、同じように価値があると思う。がんになって落ち込んでいるときに、それを素早く共感し、ニーズを分解して、具体策を投げることの価値も変わっていない。具体策の内容が若干スマートになった程度。

次の元号の数十年も、新しい旅ですね。絶望せず、具体策を探し、それを実現する。人間はそうして新しい世界を作り愛して行くのだなと。