2016年2月6日土曜日

今更ながら、我が親の適当さに気付いた話

雑談です。

母はすでに他界しています。もう5年以上たつので、情緒的な悲しさはありませんが、最近とにかく面白いことを思い出すようになりました。その頃はなんとも思わなかったのですが、その頃の母の年齢に近づいてきて、アレはおかしいだろうと気づくという感じです。

私は運動がとても苦手な子どもでした。そして今でも苦手です。
見た目は運動ができそうに見えるようですが、全くダメです。球技はボールの行方がわからず、取りに行く気にもならず、一生懸命追いかける気にもなりません。
ボールと戯れる猫を見て真面目だなと関心します。子どもの頃からあたまとからだが繋がっていない感じで、ドアを閉めながら挟まるとか、階段で一段踏み込み間違えるとか、いろいろあったように思います。

それでも学校教育の中で、鉄棒やボール投げなどがありますから、なんとかやるのですが芳しく無く、スポーツテストで5級とか級外をとっていた記憶があります。とにかく、ボールがとばない、ジャンプができない、のぼり棒にも登れない。

それなのに母は「大人になれば逆上がりくらいできるようになるよ」「ボール投げられなくても大人は困らない」「ダンスができなくても生きていける」と全く気にせず放置。私ものんびりしたもので、そうかそうか、別にいいかと思って過ごしていました。そして、そのうち忘れていました。

いや、母よ、あんまりよくないよ。

よく考えてみると、多分、母も逆上がりやボール投げができなかったのではないかと思います。どう考えても、スポーツが得意そうな感じがしません。あとは、多分、砂場の鉄棒で練習に付き合うのが面倒くさかったのだと思います。もういないので確認の手段はありませんが、9割方こんな感じだと思います。

それでも私は元気に仕事ができているのだから、あながち教育が間違っていたということもないとも言えなくない、ですよね。今一生懸命になっていて、できなくって困っている若者がいたら、ぜひこんなに適当な親でもちゃんと子どもは大人になったよ、と伝えたいと思います。

それにしてもかなり適当だったな、わたしの母親。