2015年2月19日木曜日

はましんチャレンジゲート審査員、終了しました

浜松市の信用金庫、はましん(浜松信用金庫)が行うビジネスプランコンテスト「第2回はましんチャレンジゲート」の審査員をさせていただきました。10組ほどの個性あふれるビジネスプランを聞き、評価も忘れて熱く考え込んでしまいました。

立ち上げ時期の創業部門と、すでに事業化している(もしくは第2創業)新事業・新技術開発部門の2部門に合計10社がチャレンジしています。はましんの錚々たるメンバーの末席に加えていただき、地域のチャレンジ最前線を見てきました。

創業内容には地域性がある。創業プランものづくり系が強い浜松市。
浜松市はものづくりの街です。
ホンダ、スズキの自動車会社本社があり、ヤマハがあり、ホトニクスもあります。BtoBではかなり有名な企業の本社工場やOEM工場もあります。

浜松市のHPによると、人口約80万人のうち生産人口が42万人、うち15万6千人が製造業である二次産業に就いています。全国平均では第二次産業人口は26%のところ、浜松市は37%。一次産業就業率は全国とほぼ同じですから、堅実にものづくりを行う人口が50%近くいる、売るものを持っている基礎体力のある市と考えられます。

【産業別就業人口割合の全国比較(平成17年)】


二次産業の分布について出荷高ベースで見てみると、輸送機関連の製造業が46%、その他電気・金属・プラスチックまで入れた機械系製造業はじつに75%を占めます。

【主要業種別製造品出荷額割合(平成19年)】












さらに興味深いことに、拠点流出で市内の就業人数は減少しているが出荷額は増加しているそうです。

"本市は、「ものづくり都市」として工業が都市活力を支えてきました。近年、製造品出荷額は増加傾向にありますが、工場の市外移転や廃業の進行によって、事業所数及び従業者数は減少傾向にあります。なお、製造品出荷額の約46%を輸送用機械器具製造業が占めており、本市の工業を代表する分野となっています。( 浜松市都市計画マスタープラン > 浜松市都市計画マスタープラン 目次 > 第1章 現状と課題(浜松市の現状)より)" 
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/toshikei/city/tosike/masterplan/masterplan/1-2.html

つまり、浜松市の産業構造はものづくり(二次産業)割合が高く、就業人数は減っているが産業自体は成長しているところもあり、出荷額は増えてきている、ということです。浜松市の人口は一時85万人に届くかとも思われましたが、現在全国平均と同じく人口は減少し80万人を切りそうになっています。母数も減れば、就業人数も減るのは自然なことです。

出荷高の増加については詳しいデータを確認していませんので理由を述べられませんが、利益を出しているところもある、ということは言えると思います。

ものづくり+α、下請けからの脱却
就業人口比で見ると、二次産業は減り三次産業が増えています。

平成12年と平成17年を比較してみると、就業人口全体で約4千人増えています。
二次産業は1万1千人減。そのかわり三次産業が1万4千人増えています。
(一次産業も2千人くらい減っています)

やはり三次産業就業率は順調に増えています。人口の伸び率よりも三次産業就業率が少し高いのは、現場のものづくりから、それを外に伝えて売って稼いでいく三次産業の人が増えたことも関係していると思われます。

【産業別就業人口の推移】


製造現場(二次産業現場)を持つサービス業(三次産業)、これは浜松市の強み
ものづくり現場には、ものづくり現場の理由があります。製造業の人は頑固な人も多いです。これは事実。でも、まげられないものがあるからこそ、浜松の製造現場から正しいものが安定して生み出されていく、というのも事実です。

この現場を持つ人達が、サービス業部門を創業してマーケットにつなげることができるのは、現場を持つ浜松市のものづくり産業の強さです。ここ、ものづくりを持っているこの地域の強さです。

外貨を稼げる二次産業+アルファの可能性
はましんチャレンジゲートのプレゼンを聞いて、この地域の創業にある地域性を感じました。ものづくり現場を持つこの地域の強みを活かした創業プランは、どれも中の人だからこそわかる、既存事業を活かした斜め展開の活気にあふれていました。

親企業の海外流出は、危機でした。リーマン・ショックも危機で、その影響はまだ残っています。そして今、それを生き抜いた今ある企業は、これからの10年を考える局面にいます。今、まだチャレンジできる体力と現場技術が残っている。これは、大きなチャンスです。ビジネスプランコンテストに出てくる活気ある10社のプレゼンを聞き、浜松市の地域性とチャンスの可能性を感じました。

日本の製造業の生き残り方は、まだまだ答えがありません。でも、少しずつ前に進んでいます。