イエスとブッタが休暇をとって二人で立川に住む、というファンキーな設定のマンガがあると知り、アマゾンプライムビデオで観ました。
聖人の二人が、ナチュラルにいい人オーラを炸裂させながら普通の生活をしているのですが、なにしろ聖人なのでちょっと徳の高いことを考えてしまって後光がピカーッと差してしまったり、プールの水が割れてしまったりします。立川の下町でいろいろミラクルを起こしながら、日本の暮らしを満喫する二人を描くほんわかしたマンガでした。
このストーリーの中に、イエスとブッタ、悪ガキ、悪ガキのお母さんと地域の人、という3種類の人がでてきます。それがみんなそれぞれの立ち位置からの視点で、言いたいことを言ってやりたいことをやっている。全く違う立ち位置なのに、妙に調和して関係性が成り立っている。3種類の立場によって正義というか、信じる正しさというか、自分の行動の源泉となるフィロソフィーが違うのですが、その視点に立つと、わかるわかる、なのです。
悪ガキはイエスとブッタを宇宙人だと設定して、地球を守るためにブッタの白毫をつつく。悪ガキにお母さんたちは宿題やりなさいと叱る。ブッタは、悪ガキの攻撃に対しての仏スマイルもそろそろ限界に近づくけれどもキレる前に悟り、また徳を積んでしまったり、ミラクルを起こして迷惑をかける。
子どものごっこ遊びも、おとなの日常の常識も、イエスとブッタの隣人愛と仏の心も、みんなちがう世界観に基づいた違う正義で、どれも正しい。
正しい、ということは、正しさを決める評価の基準があり、それは複合的。
複合的な要因は、その地域社会の成り立ちや、お付き合いや、お金の流れとか、社会正義とか、個人的な感情や好き嫌いとか。わかりやすい社会ルールと、どうしようもない個人感情に支配されているのが人間社会だな。その中で、自分の正義感を押し付けてはいけないし(この中では誰も押し付けていない)、かといって社会規範に外れるのはいけないし(悪ガキのいたずらは叱られる)、色んな人が調和することで地域は成立する(たとえイエスとブッタが居ても)。色んな人がいるからね、とはこのことだな、と。
以上、聖☆おにいさんを観た感想でした。
次は、ニーチェ先生に挑戦してみます。(レコメンサンキューです)
劇場版、森山未來と星野源が声をやっています。
星野源、芸の幅が広い。