夢は叶うか、という話です。
個人創業から数えると13年間この仕事をしてきて、セミナーで話をすることが増えてきました。主にベンチャー支援の場が多いのですが、よく聞かれることは、創業期に今の姿を想像していたのか、ということです。
おそらく期待される答えはノーでしょう。
そして、答えもノーです。
私は創業時にこんなことを想像していませんでした。その時には、患者さんの環境と社会への憤りしかなかった。でも、今は、怒っていても何も変わらないと思うので、医療の現場が無理やり頑張っているところを見つけて、それを外側で事業化する仕組みづくりに取り組んでいます。
たとえば、患者さんへの説明を一生懸命やっている看護師さんたちがいます。
でも、それは、なにか使いやすいツールを一個つくったら、いっぺんに変わるわけではないのです。
しかし、現場を近い視点でよく見て、全体も見て、全体を変えるような杭を打つ事業を作ると、
今は奇抜すぎて見えていない仕組みでも、それが当たり前になったら常識になる。
(事前の特異性、事後の普遍性)
さて、閑話休題。
そう、13年前の時点では、環境ごとあるべき姿を見て、そこへのアプローチを細分化して、その一つとしてウィッグを作る、なんてことは考えていませんでした。
仕組みなんて見えてなかったし、知らなかったです。
その時に見えていたのは、1人の患者さんと、その後ろにいるであろう沢山の同じように困っている人たち。そして、自分自身が具体策を持たない情けなさだけです。
夢は、その時点における、自分が見えている社会の中での、現時点での自分のゴールです。
社会とは、個人の集まりです。
その社会は、自分が見えているよりも広くて、多様で、見えない部分がたくさんあります。視点は様々で、立場によって視点は変わります。視点が変われば、同じものも解釈が変わり、全く違う意見が出てくる。社会の広さと種類は、実際のフィールド数×視点の量=∞です。
その中で、自分がこうあったらいいな、と思うのが夢。夢は、不確定な社会の中で、自分が見えている部分だけで作り上げているものといえます。ですから、自分が動き続けて、見える視点が変わってくれば、当然夢も変わってきます。
夢を描くのはモチベーションを上げてくれる手段です。
でも、その夢にあまりにも固執すると、実現可能性が低くなります。視点の変化とともに、自分も柔軟に変化し、社会の中で自分がどう動くと、一番効果的なのか。
そうしていくと、自分が見てきた夢が叶うのとは違う形かもしれませんが、社会の仕組みの役に立つような仕事がつくれると思っています。