2016年1月1日金曜日

煩悩の塊なので、初詣フェスの可能性を考えてみました

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いします。

今年は袋井市の法多山尊永寺にて年越初詣を体験しました。初詣を体験して、108回鐘の音を聞いても、聞くだけでは煩悩は払拭できないことだけはよくわかりました。この際煩悩を払拭せず、初詣フェス進化系について考えてみました。

まず、初詣体験について。
私たちは23時半ごろ山についたのですが、すでに駐車場は満車、沢山の人が参道を歩いていました。除夜の鐘つきが始まっていて、透き通った寒空に厳かな鐘の音が響き、参道の両脇にそびえ立つ立派な木々の隙間から空を見上げると、そこは神秘的な雰囲気に満ちていました。
わたしはクリスマスと初詣とパワースポット巡りを一緒に楽しめる典型的な日本人なのですが、それでも昔の人がこの山に神様が宿り、そこに近づきたくて寺を立てた気持ちが少しわかる気がしました。

心洗われる良い体験をして、こんなことを思うのも何ですが、この人だかりをUSJやTDRなど楽しませるテーマパークを作るプロが企画したら、どうなるのでしょうか。
門をくぐったところから初詣フェスが始まって、お参りして帰るところまで、ワクワクしてもらうとすると、どうなるのでしょうか。


こちらは2016元旦の法多山尊永寺。

階段は封鎖。警備員の人が遠目から見るとスターウォーズのライトを持っているように見えないこともない、と楽しく考えてみました。普通の警備員の格好をしていました。常識的です。寒いので暖かい防寒コートの上からでもいいので、なにか雰囲気のあるものを羽織ってくれたら、お寺の全景に溶け込み、厳かな雰囲気を盛り上げてくれそうです。




本堂にむかって歩きます。さすが、だれも前の人を押しのけたり暴れたりする人は居ません。自然にゆっくり流れます。
お賽銭を入れてお参りした後、本来は左側に流れて、煩悩の数を数えるコーナーを抜けて、お守りや御札のコーナーへ向かいますが、流れがコントロールされていないので右にも半分くらいの人が流れています。お守りに出会うチャンスを逃す確率1/2になっていました。残念。



門前の出店、門の中と外に2箇所、30メートルくらいの長さで連なっています。
暗闇に赤いのれんが浮かび上がって、お祭りの雰囲気です。

たこやき・お好み焼き・イカ焼き・チョコバナナ・クレープ・あげもの・やきとり・りんごあめ・飴細工・焼きとうもろこし・綿菓子・甘栗、などいつものお店がでていました。

いつもどおりだけど、子どもたちもクールな感じで通り抜けていたのが印象的でした。確かに寒かったし、夜遅かったですが、人が立ち止まらないのは、店舗が今のお客さまのニーズに合っていないのかもしれません。


まとめ
すべてのものが効率的で便利である必要は全く無いと思っています。参拝の待ち時間も、空を見上げる時間も、昔ながらの空気感も、味のある初詣でした。でも、なんとなく、もっと楽しんでもらえそうな気がしたのです。

お寺のビジネスモデルは危機がすぐそこまできていて、今までのように、檀家さんから改修や年忌の度にお金をいただける時代はもうじき終わると、私個人は考えています。母が亡くなり、お寺から、今年は椅子を買うから初盆の家は10万円以上ずつ持ってきて、と言われた時にはびっくりしました。知らなかっただけでしょうけれど、なんて強烈な上下関係システムなんだ、と心底驚きました。これがこの先50年も100年もそのまま続くことはないでしょう。

初詣は、地域のお寺が地域に開放されて、季節を感じて楽しんでもらい、維持運営費を賄うイベントのチャンスです。お寺を残して、維持管理しながら、この厳かな初詣が続いて欲しいと思います。だからこそ、初詣フェスはモデルチェンジをしたほうがいい、と強く強く感じました。

来年もどこかで初詣フェスに参加したいと思います。寒いけど初詣サイコーでした。